私EmiRiaは幼少期ある「ハンデ」を持って生まれてきました。
物心つく頃から、何をするにも人より遅く・自分の言いたい事がなかなか伝えられない
そんな子どもでした。
今でいう発達障害的なものを持っていたのかもしれません。
でも母や父はできるまで辛抱強く待ってくれていたと今思い返すとそう感じますね。
そんなゆっくりな私でも幼稚園までは幸せな毎日を過ごせていたんです。
と言うのも、幼稚園では、年長組のお姉さんが、私にご飯を食べさせるために、自分のご飯を早く食べて、わざわざ食べさせに来てくれるような優しい環境でしたし。
食べるのも遅ければ、お着替えも遅い私のことを気にけて、お姉さんたちが毎日手伝いに来てくれていました。
本当に優しいお姉さんたちに囲まれて私はこの時とても幸せだったんです。
ですがその幸せな時期が過ぎ去るのはあっという間のことでした。
小学生入学とともに始まる地獄
とても恵まれた幼稚園での生活から一変したのが、小学校入学です。
当時の学校は(今もそうだと思います)が、今以上に右ならえの環境で、
人よりも何かが違うと白い目で見られる風潮がまだまだ強かったと思います。
みんなが同じように画一的に動く学校という社会の中で、のんびり屋の私はどうなったでしょう?
当然ついていくことはできませんでした。
一番最初に見放したのは担任の先生
学校という場で一番味方になってくれて最後まで面倒を見てくれる模範となるべき大人といえば「担任の先生」ですよね?
なんと私は小学校に入学して3ヶ月目で、子どもたちの誰でもなく、
一番生徒を見離してはいけない担任の先生に見放されました。
「〇〇ちゃんは、他の子の学校生活の邪魔になるから、養護学校へ行くことを検討されてみてください。」
今の世の中では完全アウトな発言ですが、当時の担任の先生は私の母を呼び出してこう言い放ちました。
その理由としては、私の行動が遅い!給食時間を過ぎても食べきれない。お着替えも体育の時間が過ぎてようやくできる。という理由だったらしいです。
ちなみに、私の母は県外の出身で、父の元へ嫁ぐ際、親類・友達や知り合いが全くいない土地へやってきていました。
右も左も分からない状態で、いきなり養護学校へ行けと言われ母もかなり困惑していたようです。
「他の子の邪魔になる」先生の配慮?が第二の地獄の幕開けになる
私はまだ小学1年生ですので、養護学校の事をしるよしもありません。
母は、一生懸命、私の食事のスピードの特訓と、お着替えの特訓を開始しました。
そしてようやく、できるようになったのですが、
担任の先生が他の子の邪魔になるという事で、
クラスの一番後ろで、皆とは分けて机といすを置きそこにポツンと一人で座らせるという特別配慮をするようになりました。(全く配慮ではないんですが)
先生の指導も、私は一切無視。
今でいうスルー状態。そこにいていない状態で授業が進められていくようになりました。
そして参観日も私は皆の仲間に入れてもらえずの状態。
小学校入学から半年たったあたりから、先生のこのような態度が徐々にクラスメイトにも浸透していき、そのうち無視をされたり、バカ等と言われたりするようになっていきました。
こうして「イジメ」の土台は担任の先生によって準備され、私は6年間いじめ抜かれることになるのです。
2年生以降のいじめの記事はこちらをどうぞ。
今も昔もイジメの陰険さは変わらない
今もニュースを見ていますと、「イジメ」についての話題が取り上げられています。
その内容を見るたびに、そのニュースの被害にあった子がどれだけ辛い思いをしたのかやるせない思いになります。
今は今で昔とは違った特有のいやらしさがありますが、どの世代をおいてもイジメの陰湿さは変わりません。
ニュースを見るたびに胸が痛くなり、自分の過去がフラッシュバックすることもあります。
このトラウマは私の未来にも大きく作用して、いろんな出来事を起こす引き金にもなりました。
私の過去にイジメられた経験はしっかりトラウマになっています。
そんな辛い思いを抱えている人が他にもたくさんいることでしょう。
少しでも私の体験で皆さんが自分もそうだったと、辛かったと、当時の辛かった思いを吐き出して、前を向く糸口を見つけ出していただければと願います。