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小学2年生から集団無視!いじめが加速する

EmiRiaです。

前回小学1年生の頃の担任の先生がイジメの土台を作った話を記事にしたのですが、

今回はその続きになります。

小学校入学3ヶ月目にして、担任の先生から「あなたは他の子の邪魔になるから養護学校へ行ったほうがいい」と言われた私たち親子ですが、

特訓の甲斐も虚しく、心無い担任の先生によって特別待遇されたために、その余波がついにクラスメイトにまで及ぶようになりました。

今回は先生の私への無視はもはや当たり前という状況で、クラスメイトからのイジメについてをお話ししていきます。

前回の話はこちらをどうぞ

小学1年生から地獄のイジメが始まる着替えるのが遅い、食べるのが遅い。いわゆる発達障害を持っていたと思われる私は、小学校に入ってから、担任の先生とクラスメイトの格好のイジメの標的となりました。そんな私の壮絶なイジメ幕開きの体験談です。...

1年生の2学期は皆からスルー状態

そこにいるのに、いないことにされると言うのはとても辛いことです。

いわゆる集団無視。

教室という小さなコミュニティの中に属しているのに、みんなからフル無視されるというのはかなりきつい状況です。

そのきつい状況を小学1年生の私は味わい尽くしていました。

席は一番後ろの、みんなの邪魔にならない場所。席をポッツンと置かれ、あろうことか担任の先生が率先してフル無視、今で言う完全スルー状態です。

初めはちょこちょこ話しかけてくれる子もいましたが、

先生がそんな態度をとっているわけですから、みんなの共通意識の中にも私に対して「変な子」というイメージが定着してきます。

その「変な子」のイメージが定着したのが1年生の2学期あたりだったのでしょうね。

この辺りからは先生どころか、クラスメイトからも無視をされるようになり、「バカ」などの暴言を吐かれるようにもなっていました。

まだ幼く、ただでさえみんなよりも行動も考えもゆっくりな私はどうしていいのかわからず、ただただ耐えるしかありません。

そんなこんなで1年生の時期は過ぎ、この頃には私から笑顔が消えていました。

2年生から本格的に孤立状態。イジメの範疇が言葉から暴力へ

学年だけは一つ上がりましたが、友達といえる子は一人もいません。

そして、徐々にいじめも、言葉だけではなく、行動にでていきました。

  • 足でチョッカイをだされたり
  • ひっかけて私が転ぶのを皆で楽しんだり
  • 教科書や服や靴を隠されたり

私は、何も言わず、泣きもせず、ただひたすらに探し回る姿が、同級生達にとっては、面白かったのかもしれません。

この頃には感情というものがなんなのかわからなくなっていました。

ランドセルに残飯が、体操服と教科書はズタズタにそれが3年生の私の生活

3年生になり、イジメは止まるところを知らず、どんどんエスカレートしていきました。

大人になった今思うのですが、イジメや暴言・暴力って

酷くなることはあっても治ることはない。

そう思います。

3年生にもなるとみんな知恵がついてきます。

どうしたらより陰湿に(楽しく)いじることができるのかを考えるようになるのが、人間の闇の部分ですね・・・。

  • この頃の私のランドセルには、給食の残飯を入れられたりするのは当たり前
  • 教科書はびりびりに破かれる
  • 体操服や靴は学校内にある池に放り込まれる

    上履きには、画鋲が入っている

こんな毎日が当たり前になってしまっていました。

こんな毎日だったので私は無表情、無感情になってしまい、隠れることしか思いつかず、休憩のチャイムがなると、近くにあるいつもの図書室の隠れ場で一人でじっとしていました。

いつも凄い状態で家に帰っていた私

  • 服もボロボロ、びしょびしょに濡れている。
  • ランドセルもびしょ濡れで、中には残飯と無惨に引き裂かれた教科書が入っている。
  • 無表情で言葉も出ない、何か聞かれても答えることもできない。

それが私の3年生の帰宅時の様子でした。

正直体操服も、教科書も一体何冊買ったかわかりません。

そんな状況でしたが、母から「学校へは休まず行きなさい。行かなかったら負けたことになる」そう毎日言われていたので行っていました。

母に言われるでもなく私から学校へ行きたくないという事は一度も伝えたことはないんですけどね。

この時学校に行く行かないということも考えられず、ただただ毎日のルーティンをこなすことだけを努めていたように思います。

父も母も学校と戦ってくれていたが学校は何もしてくれなかった

後に知ったことですが、母は、学校へ相談へ行ったそうです。

それでも担任の先生は、私と関わる事で、同級生や、その保護者から嫌われるのをおそれたのかと思いますが、全く知らぬふりを通しました。

どれだけ訴えても、学校は自分の身の保身だけ。

これだけ酷くイジメられているのに、学校は父と母の訴えに耳を貸すことはなく、父母も相当辛い思いをしていたようです。

大人になった今考えると、娘がこんな酷いイジメに遭っている様を見て、父も母も辛くて辛くてたまらなかっただろうなと思います。

イジメは本人だけでなく、その家族をも悲しませ苦しませます。

だから私は本当にこのイジメというものが許せないんですね・・・。

イジメられた人の心の傷は、イジメた人は忘れてしまっても、イジメられて人には一生残ってしまうから。

3年生を機に私のイジメは本格的にエスカレートし、過酷を極めていきます。

4年生からの私のイジメエピソードは次の記事を呼んでくださいね^^


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ヒーリングサロン癒和を運営しています。 幸せになるために頑張ってきたのに、気がついたら不幸せになっていた…なんてことが40代前後はあるあるです。 幸せから不幸せになったなら、もう一度幸せを取り戻しましょう。 そのためのヒーリングをしています。